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東京高等裁判所 昭和58年(う)624号 判決

被告人 ステイーブン・フレデリツク・レンケル

一九五二・一一・一一生 英語教師

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人浜四津敏子、同岩元隆が連名提出した控訴趣意書、同補充書その一、同その二に、これに対する答弁は、検察官峰逸馬が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意書第一の論旨(不法な公訴受理)について

所論は、要するに、本件捜査における捜索は無令状による住居への捜索であつて、その捜索差押及び被告人の現行犯人逮捕手続には憲法三一条、三三条、三五条、刑訴法二一八条等に違反する重大な違法があり、しかも、検察官は右違法捜査の事実を知つていたから、本件公訴提起行為自体瑕疵ある無効なものであり、仮に、右公訴提起自体に瑕疵がないとしても、本件捜査手続における重大な違法の存在は公訴提起全体を無効にすると考えられ、したがつて、いずれにしても刑訴法三三八条四号により本件公訴は棄却されるべきであるのに、原判決がこれを棄却しなかつたのは、不法に公訴を受理したものであると主張する。

しかし、本件捜査手続に所論のような重大な違法が認められないことは後記のとおりであり、記録を精査しても本件公訴提起自体にも何ら違法、不当な点はないから、本件公訴提起が無効であるとは考えられない。原判決に所論のような誤りはない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意書第二、同補充書その二の論旨(理由不備・くい違い)について

所論は、要するに、原判決は、本件捜索の日には本件居宅が被告人の住居であつて、蕨野の住居ではないと認定しながら、「被疑者蕨野方」を捜索場所とする本件捜索差押令状をもつて本件居宅を捜索することができる理由を何ら述べていないから、原判決には理由の不備又はくい違いがあると主張する。

しかし、原判決は、本件証拠物押収の経緯を詳細に認定し、被告人と蕨野の同居状況、占有区別の有無、同人の荷物の残留状況、郵便受けの表示状況、居室内の客観的状況による捜索時の転居の判定可能性、本件証拠物の提出経緯等を詳細に説示したうえで、本件証拠物の押収手続を違法ということはできないし、仮に若干の疑義があるとしても証拠能力を左右するような重大な違法はない旨の結論を示していることが明らかであるから、原判決は有罪判決に必要な理由を十分示していることは勿論、その理由にくい違いがあるとも考えられない。論旨は理由がない。

三  控訴趣意書第三、同補充書その一の論旨(訴訟手続の法令違反、事実誤認)について

所論は、要するに、原判決は、本件捜索差押の経緯を認定し、これにより収集された本件証拠物(大麻)の証拠能力を肯定したけれども、本件において、捜査官は、被告人に対し大麻に関する令状だと告げただけで何ら蕨野に対する令状だと告知せず、被告人に対し自己に関する被疑事実と誤信させ、捜索開始後に脅迫的言辞で執拗に大麻の提出方を要求したため、被告人はやむなく本件大麻を提出したものであり、その捜索差押手続は違法であるから、原判決の捜索差押手続の経緯に関する認定には判決に影響を及ぼすこと明らかな誤認が存在するとともに、右違法収集証拠である本件大麻について証拠能力を認めて被告人を有罪に処した原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな訴訟手続の法令違反があると主張する。

しかし、関係各証拠を検討すると、原判決が本件大麻の捜索差押の経緯として認定するところは概ね相当であり、所論にかんがみ記録及び証拠物を精査検討し、当審での事実調べの結果に徴しても、原判決に所論のような判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認及び訴訟手続の法令違反があるとは考えられない。以下、所論にかんがみ、補足説明する。

1  まず、以下の事実については、被告人も特に争つていないか、もしくは証拠上疑いがないものと認められる。

被告人は、昭和五五年来日して一旦帰国したのち、昭和五六年八月ころ再び来日し、同月末ころから東京都新宿区百人町一丁目一九番二二号所在の本件グレイハイツA号室に居住しながら英語教師をしていた。被告人は、同年一〇月ころから友人のパーテイで知り合つた蕨野英生を右居室に同居させ、郵便受けに同人の名前も併記した。右居室はいわゆるワンルームであり、両名の占有区別はなかつた。被告人は、昭和五七年九月ころ新宿のバーで米国人から大麻樹脂等を買い、そのころ自室で一人又は蕨野と一緒に右大麻を吸つていた。同人とは一〇回位一緒に吸つたが、時には同人の所持する大麻を吸つたこともあつた。同人は、同月一五日ころ荷物を置いたまま右居室を出たが、同月末ころまでは何回か泊りに来ていた。同年一〇月四日ころ、オーストラリアから被告人の友人ロレツタ・アン・ハイランドが来日し、同月一六日ころまで右居室に同居した。同日ころ被告人は同女とともに蕨野の荷物を同人のもとに運び届けたが、なお居室内には同人の若干の荷物(衣類)が残つていた。関東信越地区麻薬取締官事務所の麻薬取締官は、同月七日ころ情報協力者から蕨野が大麻を所持しているとの情報提供を受け、その住居として本件グレイハイツA号室と記載されたメモを入手し、同月一五日ころ同居室を内偵したところ、電話の所有名義が被告人となつていたものの、郵便受けに被告人とともに蕨野の名前も掲げられ、二人分の洗濯物が干されていたことなどから情報どおり同室が同人の住居であると認め、その後の二回の内偵でも特段の状況変化がなかつたため、同月二六日渋谷簡易裁判所裁判官から大麻取締法違反(同法三条)の被疑者を蕨野、捜索すべき場所をグレイハイツA号被疑者居室、差し押えるべき物を「大麻、容器、被包、吸煙器具、取引に関するメモ・日記・書簡・電話帳」と題する捜索差押許可状(夜間執行許可)の発布を得た。同月二七日午後八時前ころ児玉幸夫を指揮者とする同事務所麻薬取締官ら六名が右令状執行のため同室を張り込み、午後九時ころ同室に何者か一名が帰宅したので同室に赴き、ドアをノツクして被告人にドアを開けてもらい、右児玉及び英会話のできる末吉廣志の二人がまずドア内側に入つた。室内には被告人一人がおり、捜査官に大麻があれば出すようにいわれた被告人は、本件大麻を壁にかけてあつたシヨルダーバツグ、押入れの背広から取り出して提出し、それらが自分のものであることを認めた。右大麻につきその場で簡易試験が行なわれた結果、大麻であると判明し、被告人は大麻所持の現行犯人として逮捕された。室内からは他に証拠物は発見されなかつた。被告人は日本語学校初級終了程度しか日本語を理解できず、捜査官と被告人との会話は末吉が通訳した。なお、被告人は、その後の捜査官の取調べに対し本件大麻の所持を認める供述をし、原審公判においても本件所持の事実自体は認めている。

2  ところで、被告人は、原審において、本件捜索のさい捜査官が令状を出し、「アパートの捜索令状だ、フレデリツクか」といつて入つてきたのであり、蕨野に対する令状であるとはいわれなかつたので、自分に対する令状と思つた、捜査官が「大麻を持つているなら協力して出した方がよい、部屋中捜索する、冷蔵庫の部品をバラバラにしても捜すから」と繰り返しいうので、本件大麻を提出した、自分は捜査官に対し部屋の中の方まで入つてもよいとはいつていない旨供述するのに対し、原審で取り調べられた捜査官児玉幸夫(第一、二、五回公判)、末吉廣志の各供述は、蕨野に対する令状であると告げて令状を示している、蕨野のことを尋ねると、被告人は同人が一週間前に出ていつたが、荷物は二、三あるというので、捜索の立会人になるよう頼み、さらに大麻を持つているならば出すようにいつたところ、大麻を出してきた、部屋の中の畳の上に上がるについては被告人の同意を得ているというものであり、双方の供述は対立している。

そこで、この両者のいずれを採用すべきかについて検討すると、原判決も説示するように、被告人は捜査段階において捜査官に対し本件捜査手続について何らの疑義も述べていないところ、本件捜索当日付で作成された捜索差押調書(甲)、差押調書(乙)には、捜索のさい被告人が「蕨野は荷物を置いて出ていつた」と回答した旨記載されており、これを捜査官が被告人の弁解を予想してことさら虚偽を記載したものとまでは考えにくいこと、児玉供述の細部には記憶の混乱していると思われる点が存在し、末吉供述との間にも若干のくい違い部分がないではないが、右両名の供述は、例えば、部屋に上がつてよいかときくと、被告人が手でどうぞという動作をしたとか、蕨野が一週間前に出ていつたと被告人が答えたなどと十分に具体的なもので、特に取り立てていうほどの不自然、不合理な点は存在しないと思われ、被告人に令状を示す前に「蕨野はどうしたか」という言葉のやりとりがあつたなどという原審証人戸部末夫の供述によつても大筋において裏付けられていること、その他原判決の説示する諸点をも考慮すれば、所論指摘の点を検討しても(なお、令状執行のため玄関内に入り、令状がある旨告げた捜査員が、同居者と思われる被告人に対し入室の同意を求めることが不自然であるとはいえないし、末吉は、部屋の中で被告人に対し蕨野はどこへ行つたかと尋ねた旨供述している)、被告人の供述はそのまま信用できず、児玉、末吉供述を採用した原判決は相当であると考えられる。

そして、右両名の供述を含む本件各証拠によると、原判決の説示のように、末吉が、同室の玄関において、被告人に対し、自分らが麻薬取締官で家宅捜索の令状がある旨告げたこと、次いで、同人らは、室内に蕨野の姿を認めなかつたものの、被告人の了解を得て室内の畳の上に上がり、児玉が末吉を介して、被告人に本件令状を示し、蕨野に対する大麻取締法違反による捜索の令状であることを告げたうえ、「蕨野はいるか、どこへ行つたか」と尋ねたところ、被告人は、「いない。一週間前に出て行つた」と答え、さらに「蕨野の荷物はあるか」との問に対し、「二、三ある」旨答えたので、「それを捜索する。畳をはがしても捜索するから立会人になつてくれ」と告げ(ただし、右「畳をはがしても捜索する」との文言は末吉が勝手に述べたもの)、そのさい、被告人に対し、大麻を持つているなら出すように協力を求めたこと、これに対し、被告人は、若干の間をおいて前示のように大麻を取り出してきて提出したこと、被告人の現行逮捕後、捜査官は室内の捜索活動を行なつたこと(本件令状に基づくものと現行犯人逮捕に伴うものとを併せ実施)を認めるに十分であり、以上の捜索押収経緯についての原判決の認定には特に誤りはないと考えられる。所論のように、捜査官が、被告人に対する被疑事件であるように被告人を誤信させたうえ、被告人を脅迫し、執拗な要求を繰り返した結果、被告人が本件大麻を提出せざるを得なくなつたような事情は認めがたい。

3  以上の事実を前提に検討すると、まず、原判決は、本件大麻は本件令状による捜索差押によつて得られたものではなく、これに関連してその捜索活動を開始する前に、被告人から提出されたものであつて、本件捜査方法は任意捜査の範囲内にあつたという。たしかに、前示経過により明らかなように、本件大麻は室内の具体的な捜索活動に先立ち被告人の意思に基づき提出されたものである。しかし、児玉らは、被告人らに対し令状を示して捜索する旨告げ、そのさい被告人に提出の協力を求めたのであり、被告人としては、畳をはがしても捜索するとまでいわれたこともあり、提出しなくてもいずれ捜索により発見押収されると観念した結果自ら提出した事情も窺われるから、本件提出をもつて全く任意のものであつたとは直ちに断じがたい。原判決説示のように、捜査官が提出について単に協力を求めたにすぎないものとしても、被告人の右提出の意思決定にはやはり令状の存在が多少とも影響を与えていることを否定しがたい。

そこで、さらに、本件令状の発布及びこれによる執行の適否について検討する。

前示のように、本件居室から蕨野が出たとされる昭和五七年九月一五日以降においても、同人の荷物は残され、同人も同室に何回か宿泊したこともあつたから、その段階では未だ同人の住居が同室であつたといえなくもない。しかし、同年一〇月一六日ころには同人のほとんどの荷物は同室から運び出されたから、原判決説示のように、おそくとも同日ころには同室が同人の住居とはいえなくなつたというべきである。したがつて、同月二六日発布された本件令状が同室を被疑者蕨野の居室であると表示したのは客観的事実に反するというべきである。そして、刑事訴訟規則一五六条一項、三項によれば、被疑者以外の者の住居等の捜索のため令状を請求するには、被疑者の住居の捜索の場合と異なり、被疑者が罪を犯したと思料されるべき資料のほかに、差し押えるべき物の存在を認めるに足りる状況があることを認めるべき資料も提供しなければならないとされるから、本件において本件居室が被疑者蕨野の居室でなかつたことは、令状請求の疎明の有無、ひいては令状の有効性にもかかわりかねない問題と思われる。

しかし、捜査においては、被疑事実の有無については勿論、被疑者の住居等を含めた種々の事情が当初からすべて判明しているというものでないことはいうまでもなく、捜査の進展に伴いそれらが次第に明らかになつていくものであり、特に、捜査の初期に行なわれることの多い被疑者方の捜索の場合、その時点で収集された被疑者の住居と思料するに足りる資料があれば、捜査の密行性により確認し得る事実関係には限界もあるから、客観的にはこれがたまたま被疑者の住居でなかつたからといつて、捜査官が被疑者の住居でないことを知りながら令状請求したような特段の事情がない限り、直ちに令状発布が違法であるとか、発布された令状が無効となるものとは思われない。これを本件についてみると、前示のとおり、本件麻薬取締官らは、情報協力者から蕨野が大麻を所持しているとの情報を得、その住居を記載したメモを得たこと、内偵の結果右メモに記載された本件居室の郵便受けに蕨野の名前も掲げられ、二人分の洗濯物も干されていたことなどから、被告人と蕨野とが同室に同居していると思われる状況が明らかとなり、右情報の根拠のあることが確認されたのであり、その後の内偵でも外見上格別の変化も窺われなかつたから、大麻の不法所持という本件被疑事実の性質上近隣の聞き込み捜査をしなかつた点を直ちに落ち度ともいいがたいことなども勘案すると、他に特段の事情のない本件にあつては、右程度の疎明により本件居室を被疑者蕨野の住居(被告人と同居)として捜索差押許可状の発布を請求したことはやむを得ないところであり、したがつて、また、裁判所の発布した本件令状が違法、無効なものであるとはいうことができない。

もつとも、本件においては、令状執行の段階に至り、捜査官は被告人から蕨野が転居した旨の回答を得たのであるから、本件居室が同人の居室でなくなつた可能性もあり、その後の令状執行をさし控えるべきであつたかどうかが問題となる。

しかし、そもそも本件居室の捜索自体、前示のように被疑者の居室として令状により許可されていたものであり、全くの無令状ではなかつたこと、従来被告人と蕨野は、占有部分の区別もなく同居していたから、令状による捜索は当然部屋全体に及ぶものと思われ、被告人は同居者として本来右捜索に伴う不利益を甘受せざるを得ない状況にあつたこと、蕨野が転居したのは約一〇日前のことであり、本件捜索時の居室内の客観的状況によつても同人が移転したのかどうか捜査官には直ちに判断しかねる状況であつたこと、被告人自身も蕨野の荷物の一部が残存していると回答したのであり、前示のような経緯のもとでは右荷物の中に大麻の存在する可能性も十分あつたと認められること、右の段階において令状執行を中断し、改めて裁判所の許可令状を要するものとすると、存在している可能性のある証拠物が処分廃棄されるおそれがあることは明白で、捜索を続行する必要性の強いことなどの事情にかんがみると、蕨野の荷物を探すため本件居室全体を本件令状により捜索しようとしたことが直ちに違法であるとはいいがたい。仮に、右の点に若干の疑義が残るとしても、本件大麻が前示のように一応被告人の意思に基づき提出された経緯にも徴すれば、本件大麻の押収手続に令状主義の精神を没却するほどの重大な違法があつたとは到底考えがたいし、また、これを被告人の罪証に供することが、違法な捜査の抑制の見地からみても相当でないとは認めがたいから、本件証拠物の証拠能力はこれを肯認することができる。原判決も結論において右と同旨の判断を示している。

以上、本件大麻の捜索差押手続の経緯について、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認はないし、その証拠能力を認めた原審もしくは原判決に訴訟手続の法令違反があるとも考えられない。論旨は理由がない。

そこで、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑訴法一八一条一項本文により当審における訴訟費用の全部を被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 船田三雄 竹田央 中西武夫)

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